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[最終企画] 座談会:平成最後に「早稲田のスポーツ」を語ろう

06: ステークホルダーと肖像権2019/04/17

神原

ボランティア監督からプロ監督へ、という流れに対してひとつ考えることがあります。私が庭球部に入って思ったことは、予想以上にステークホルダーが多い、ということでした。普通だったら監督、コーチ、ファンといった支援者はいますけど、やっぱり早稲田のスポーツの場合、縦というかOB・OGの支えというのがものすごく熱心にあるなと。OB・OGがわざわざ休みの日に練習を見にきてくださって、終わったあとに必ず話をしてくださり、僕らもお名前を忘れないために「芳名帳」に記帳して頂いたり。よく言えば面倒見がいいというか、悪く言えば口を出すというか(笑)。いずれにせよ、関わっている人がとても多いことに驚いたんです。でも、今にして思えばそれが早稲田スポーツの魅力、伝統校ならではの“味”だよねと。そういった部分は、平成の時代にどう変わってきたと思いますか。

友添

OB・OGとの交流どころか、本来、最大のステークホルダーであるはずの一般学生との関わりすらなくなっていますから。もう、体育各部と学生の交流がない。ゼミに入って辛うじて一緒に学ぶくらいで。

神原

それも、時代の流れとお考えですか?

友添


TEST MATCH ─宿沢広朗の「遺言」
(宿沢広朗/講談社)

いや、まずいだろうと個人的に思っています。むしろ、早稲田のスポーツを健全な形に持っていくには、「隣の席にもトップアスリートがいる」というような環境が望ましいと思うんです。そのためにも、高校の試験ができる云々より、もっと別の意味で基礎的な思考力や判断力、表現力を豊かに持っている学生で、プラス、競技力のある学生を取る必要がある。そうしていかないと、長期的に見たときに宿澤広朗さん(※)みたいな人が早稲田から出てこなくなっちゃう。


TEST MATCH ─宿沢広朗の「遺言」(宿沢広朗/講談社)
宿澤広朗
昭和48年(1973)政治経済学部卒。元ラグビー日本代表選手・監督。早稲田では2・3年次に日本選手権連覇。4年次には主将を務め、のちに監督にも就任。卒業後は住友銀行に入行し、最終的には三井住友銀行取締役専務執行役員を務めて金融界でも実績を残した。平成18年(2006)没。

神原

そうですよね。宿澤さんのように、銀行の頭取にまでなるような学生。

友添

そうそうそう。でも、過去には宿澤さん的なOB・OGは大勢いたんです。そういう学生が今後、早稲田スポーツから生まれなくなっちゃうというのはまずい。たとえば、ソフトバンクの和田毅君(※)もそうですよ。彼なんか私の授業をいつも一番前で聞いていて、「君、何部?」「野球部です」「え、こんな細い体でピッチャーなの?」だなんて、今考えれば失礼なやり取りをしていたくらいですから。でも、それぐらい彼が周囲に溶け込んでいたということなんです。スポーツ科学部が、人間科学部のスポーツ科学科だった時代は、まだそういう空気がありました。でも、今は野球部に限らず、同じ部で固まっていることがほとんど。早稲田スポーツにとっては、全体との交流が少なくなってしまったという意味ではやっぱりちょっと残念な部分です。

和田毅
平成15年(2003)人間科学部卒。「早稲田のドクターK」と呼ばれ、平成14年に江川卓(法政大)の持っていた東京六大学野球連盟奪三振記録443を更新し、通算476奪三振まで記録を伸ばした。メジャーリーグでも活躍し、現在は福岡ソフトバンクホークス所属。『WasedaWillWin』でのインタビューにも登場した。

神原

なるほど。

友添

大学とスポーツの関係性でいえば、肖像権の問題も考えなければならない領域に来ていると感じています。

たとえば、星奈津美さん(平成25年スポーツ科学部卒)にしても瀬戸大也君(平成29年スポーツ科学部卒)にしても、インカレのときは「早稲田大学」と大学名が出るんですけど、他の試合は所属クラブの名前で出ることが多いじゃないですか。だから、世間的には彼・彼女らが「早稲田大学の選手」と認識されていないし、校友でも気づかない可能性が高い。早稲田で学び、選手によっては授業料の免除などもされ、なおかつ、早稲田の施設でも練習しているにもかかわらず「早稲田大学」という名前が出ないというのはどういうことなんだ? とやっぱり思うわけです。その理由を聞くと、クラブはスポンサーで、クラブから資金提供を受けているから肖像権はクラブに渡していますという話なんです。卓球なんかもそうですね。スポーツ科学部に在籍していた頃の福原愛さんも「早稲田大学」というよりも「ANA」で出ていた。

神原

僕も、国民栄誉賞を受賞されたフィギュアスケートの羽生結弦選手が、早稲田大学の学生(人間科学部通信教育課程)ということを知らない方がいて、大変驚いたことがあります。

友添

今後、さらに同様の事例が多くなってくると、大学スポーツの求心力にも影響が出てくると思っています。大学スポーツの求心力の根幹はやはり大学に向かわなきゃいけない。大学って実は、あるようでないもの。ある種、大学という「想像の共同体」のなかで我々は、共感しあったり、共有しあったり、アイデンティティを見いだしているんだけども、それが見えなくなってくると、なかなか危機的な状況にくる可能性があります。

木村

肖像権の問題でいえば、オリンピックとの絡みも悩ましいものがあります。僕が顧問を務めるスキー部なんかまさにそう。スキーなんてクラブがないわけで、スキー部としての活動がメインなのに、オリンピックに関してはIOCが出場した選手の肖像権を勝手に一括して握るわけじゃないですか。つまりタダ乗りなんですよ。話題にでたスポンサーですら、もうIOCの言いなりにならざるをえない。一体、どこの施設を使ってその選手を育ててきたと思っているのか。そういうタダ乗りに対して、もっとしっかり反発しなきゃいけないよね。早稲田として、ちゃんと「おかしい」と声をあげなきゃいけないと思うんです。大学はそれなりに学生に資金を投じているし、環境を用意しているんだよ、と言っていかなきゃいけない。

早稲田スポーツミュージアム(戸山キャンパス 早稲田アリーナ3階)


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